じんけんSCHOLA

関西大学の石元先生による「はじめてみよう!これからの部落問題学習」という講座を聞きに行ってきました。

この講座では、今、学校現場で部落問題についてどう教えているのか?そして、これからどう教えていくべきなのか?などということをテーマにお話がされていました。

前半は、石元先生が大学で担当された授業でとったアンケートをもとに、今の大学生世代が高校生までの間で、部落に関してどのような知識や印象を持たされてきたのかを明らかにされていました。

「部落とはどんなところ?」というような質問項目に対する、アンケートでの回答は、ほとんどが「血筋の異なる人が住んでいる地域」というような理解でした。

その後、石元先生から、「昔の賤民身分とされた人が住んでいた地域であっても、今の部落として残っているところとそうではないところがある」「えたと非人も住んでいる場所は違った」などということが説明されました。

そこから、差別が発生するその場では「先祖を(江戸時代まで)5代も6代もさかのぼって調べたらこいつは部落民だから差別してやろう」などという実態はないのに

部落が部落であることを説明しようとすると血統の話をすぐに持ち出してしまう不思議さを感じました。

ただ、それと同時に、この「不思議」を感じるところに達することすらさせない教育ってどうなの、とも思いました。

今の大学生の実態を知らせるアンケートの回答に、会場からは時々あきれたような笑い声が漏れたり、びっくりしたような反応があったりしましたが、私は「これが現実だよなぁ…」と妙にしっくりきてしまいました。

後半部分では、生活実態が改善してもなくならず、経済力にも関係なく受ける部落差別の原因を「漠然とした異質視」として説明されていました。

このように、部落や部落民をきっちり定義できないことで忌避意識が生じたり、差別の無根拠性によって対策が困難であったりする部落差別の現実に、教育現場では触れることすらあまりしません。

これまでの部落問題学習は、児童や生徒の質問に十分に答えてこなかったことによる消化不良感があったのではないかとしたうえで、だからこそもっと身近なところ(例えば日常に潜む「あるある」な偏見など)からでもよいから「自分事意識」を持ってもらえるような教育が必要だと話されていました。

あらためて、無知ゆえに気づけない構造の不思議さや、無知が生む偏見の恐ろしさについて考えさせられました。

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