2019年度第1回「同和問題解決推進協議会」を振り返る

11月1日(金)19時から、9か月ぶりに「協議会」が開かれました(前回は、2019年1月29日)。こうした仕儀になった事情については、すでに書いてきましたが、改めて確認しておきます。1月の協議会は、2018年3月に出された「協議会の答申」をうけ、市としての基本的な考え方と方針を示した上で、どのように具体化・実施していくのかということが論点になるはずでした。しかし、事務局(人権政策課)が出してきた資料には、肝心の基本的な部分に関わるものがありませんでした。そこで私は冒頭で発言を求め、以下のように言いました。

「答申」は協議会が作ったものですから、それを市の言葉で書き換えなければ市のものとはなりませんし、全庁的・全市民的なものにもなりません。昨年3月、市長に「答申」を提出した折に同席した委員から「リーフレットのようなものを作ってほしい」との要望もありましたが、そういう意味合いがこめられていたと思います。しかし、これはまだ陽の目をみていません。

「答申」は「『現在もなお部落差別は存在する』という認識は、豊中市においても当てはまると言わざるを得ないのである。」と書いていますが、このことを基本にすえて同和行政を推進していくのであれば、市として新しい基本方針を出すのは当たり前のことだということです。

方針がないところには計画も取り組みも生まれるはずがないし、「答申」の内容は1年やそこらで実施できるものでもありません。全体構想を固め、具体的な目標を決め、達成するための手段と必要な期間を定めて、年次計画を立てる必要があります。それがあってこその個別の取り組みであって、決してその逆ではありません。

第8期協議会の任務は、「答申」の具体化ですが、こうした自明のことをしないまま、「答申」をつまみ食いするかのような議論の仕方は間違っているし、「答申」の精神をふみにじるものだと言わねばなりません。再考していただきたいと思います。

この意見に他の委員も賛意を表明していただき、事務局が用意した資料は審議されず、改めて出直すことになりました。9か月間、市内部での協議と調整が行われ、この日の協議会を迎えました。

事務局から事前に提供された資料は、「差別事象の報告」と「2018年度の取り組み状況」の二つ。当日配布されたのが、「豊中市人権教育・啓発基本計画」(2004年度改訂版)と「人権・同和に関する計画の見直しについて」、そして、8月9日付で配信された「答申を受けた今後の取り組みについて」。

ここでは差別事象の報告は割愛し、「答申を受けての今後の取り組みについて」に関わる議論を紹介します。

結論から言えば、市はこれまでも言ってきた通り、「同和行政基本方針」(1998年)や「同和行政推進プラン」(2004年)を改訂するつもりはないこと、新たな人権啓発に関する総合的な行政指針を、人権教育・啓発基本計画、同和行政基本方針、同和行政推進プランの後継指針に位置づけ、策定し、より効果的な啓発に努めることを明らかにしました。

これに対して委員からは、部落問題を人権一般に流し込むのではなく、きちんと位置づけをしたうえで、独自の取り組みをすべきとの意見が出されました。市は「人権」に一本化するという考えですが、委員は「人権」と「同和」を並立させて、二本にすべきということで、認識や考え方の違いが浮き彫りになりました。

また市は、「答申」の内容を必要に応じて、関係する他の基本方針等に投影していくとも言いましたが、これは本末転倒です。「答申」があって、それに基づいて方針が策定され、計画が作られるべきです。その内容を投影するようなものとして「答申」を扱う発想自体が間違っています。市は「答申」が出たときから、できるだけその内容を切り縮めようとしてきましたが、この段階においても、そうした方針は変わっていないようです。このままでは、再び暗礁に乗り上げるおそれがあります。

 また、事務局の説明によると、「後継指針」の策定に向けた検討は2021年度から行われる予定で、お尻は決まっていません。「答申」(2018年3月)から3年も4年も経過してからというのは、あまりにバカにした話です。本来であれば、今ごろ新しい基本方針が出来上がっているはずです。この間、それをサボタージュしてきて、その上にまだこういうスケジュールを出してくる、その神経・感覚が理解できません。

それから、これを書きながら気が付いたことですが、「人権啓発に関する総合的な行政指針」「後継指針」を策定するとありますが、この「指針」というのはどういうものなのかということです。「方針」とは違うわけです。基本方針、基本計画、プランはわかりますが、なぜ、「方針」ではなくて「指針」なのか?

ネットでチェックしたところ、こういうことだそうです。

「指針」は誰かから与えられるもので、「こうしたほうがいいよ、進むべき道はこっちだよ」と助言されるものですが、「方針」は「俺たちはこっちに行くぞ」と自分や自分の組織で決めたものなので意思表示が強めです。

「方針」には組織の意思があるが「指針」にはそれがないということです。まさかこういう使い分けをしているとは思いませんでした言葉一つで違った物になってしまうのです。さすがに行政はそうした言葉遣いに長けています。偶然ではなく、わかった上でのことでしょう。これは「指針」ではなく、「方針」に改めるべきことはいうまでもありません。

つまるところ、差別事象は依然として起きていますが、市は「大したことはない」という認識にあるのだろうし、部落問題を正面から取り上げて、基本方針を改訂したり、推進プランを作り直すといったことは微塵も考えていないのだと思われます。協議会では各委員が積極的な意見を言い、事務局はそれらを聞いてはいますが、同調したり、ましてや聞き入れることなどは期待薄でしょう。だから、委員の意見をどこまで尊重するのかが問題になりますが、今期の協議会には「諮問」がなされていませんから、どういうふうに議論をまとめるのかが大事になります。今回の「総括」をふまえ、次回に臨みたいと思います。

また、委員からは、豊中市が部落問題に関わるこうした「協議会」をもっていること自体すばらしいとの「お褒め」の言葉もありましたが、その意味では、事務局はおおいに自信と誇りを持っていいはずです。だから、「協議会」を積極的に活用し、新しい豊中モデルをつくる作業を委員とともにやるべきです。委員もそれを望んでいると思います。「協議会」はそうした場になるし、そのための知恵も出せるはずです。事務局の賢明な決断を求めたいと思います。(ささき)

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