百年の蔵

金曜日は十三の第七芸術劇場に「百年の蔵」を観に行きました。サービスデーじゃない日に映画を観るのは久しぶりだったけれど、「百年の蔵」は1500円でした。

「映像×民俗」というテーマで、民俗に関するドキュメンタリー映画を上映する特集で、他には沖縄やネパール、東北やインドなど、さまざまな地域の民俗学に関する映画の上映があった。

「百年の蔵」は、昨年の特別講座で金澤敏子さんをお招きして、米騒動100年についてお話を伺った際に、少し耳にしていた作品だった。

金澤さんが代表を務める「細川嘉六ふるさと研究会」もエンドロールに名前が出てきていた。

映画そのものは、なんとなく、テレビ番組のような印象を受けた。映画とテレビの違いって何やねんと言われればそれまでだけど、ナレーターが聞きなれた佐藤B作氏だったからなのか、場面展開に使われる映像が海の風景や山の風景だったから、ドキュメンタリーのテレビ番組を見ているような気分になった。

映画のなかには、金澤さんの講演資料に出てきた新聞記事や、機関誌に掲載している写真(事務局長が富山に足を運んだ際に撮影したもの)がたくさん出てきて、懐かしく感じた。

90歳をこえた漁師一家のおばあちゃんから、当時の話を聞く。船着き場をうろつく猫に市場にはおろせない魚を放り投げる。

猫の太り具合からみて、よほど美味しい魚を毎回もらっているに違いない。

お米をよそへやらんといてと嘆願した人、その反対におかかたちに「お米をよそへ売らんといて」と嘆願された人(お米だった人の孫)、新聞記者、新たにみつかった行政文書など、米騒動を知らない人がみても、わかりやすい映画だった。

米騒動は、ずばぬけて賢かった人がいたり、知恵があった人たちが先導を切ったのではない。さらには富山において、暴力行為は一切なかった。

ただただ、ひもじい、おなかがすいたと泣く子どもたちにご飯を食べさせてあげたいと思う母たちの思いが、請願や嘆願の行動に移っただけなのだ。「政府にたてついた市民」ととらえてしまった側面もあり、魚津では米騒動に触れるのがタブー視される時期もあったというが、米騒動によって得たものはたくさんある。決して負の遺産ではない。

封切りが遅れてしまい、101年目に入ったロードショーだったからか、5名程度のお客さんしかいなかったのがとても残念だった。

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