ワクチンは接種してみたけれど

先日、コロナワクチンの2回目の接種を終えました。2回目は頭痛と微熱がありましたが、市販の頭痛薬で乗り切れました。

私の知人には比較的年齢の高い人が多いのですが、それでもワクチンを求めるのか求めないのか意見が分かれています

 一般に言われているように、ワクチンには様々な副反応があります。また、緊急的なワクチン承認だったので安全性に疑問があるとの意見はもっともです。それに、1年後あるいは5年後に重篤な副反応が出てくる可能性が全くないとは言い切れません。ですから、接種しないとの判断はそれなりに理解できます。

 私はワクチンのリスクを承知で接種したわけですが、ある意味追い込まれた決断でもありました。五輪は中止されずその結果お盆の人流も止められず感染拡大が止まりません。自宅待機数が増えつづけ、症状が悪化しても入院先が見つからず、治療を受けられないまま死んでいく人々の報道がされる中、接種を選択をしました。みんな止まらないコロナ感染拡大とワクチンのリスクを天秤にかけて苦渋の選択をしているのです。

 そんな選択を国民にさせていながら菅首相は接種が進む状況に「あかりは、はっきりと見え始めています」と述べています。本当に国民の苦悩を理解しているのでしょうか。

 ワクチンパス(ワクチン接種を証明するもの)のような考え方もスッキリしません。ある量販店では店員それぞれの名札に「ワクチン2回接種済」などの文言を表示しているとのことです。接種してない店員、接種ができない店員はどう扱われているのでしょうか。また、プロ野球のソフトバンクではワクチンパスを示すかPCR検査が陰性である書面を示した人しか入れない試合をするようです。

 接種を進めたい気持ちはわかりますが、接種しない選択をした人、接種ができない人の権利が抑制されることは民主主義的と言えるのでしょうか。

 コロナ感染を防ぎ生き延びたい気持ちは誰もが持っている要求です。その為の手段がワクチンを接種することなのか、しないことなのかそれぞれの判断は等しく尊重されてしかるべきだと思います。そのうえで適切な接種の勧誘がなされるのがいいなぁ。(いいと思います)

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