ハリエット

水曜日は大阪ステーションシティシネマで「ハリエット」を観ました。シアターセブンぐらいの大きさを想像していたら、ものすごい大きい映画館でびっくりしました。

前日に「私はあなたのニグロではない」を観ていたので、ボールドウィンの説得力がさらに増したように感じた。

時代は1849年、アメリカ・メリーランド州に奴隷として売られたミンティが、農場から夫と家族を置いて一人で逃亡する。

自由か、死か。

死に物狂いで奴隷制度が廃止されたペンシルバニア州までの160キロを移動する。「ハリエット・タブマン」(母と夫の名)という新たな名前をつけて、夫を助けるために再び農場へと戻る。すると夫は別の女性と再婚していた。彼女はそれから幾度となく、奴隷の逃亡を手助けし、生涯にわたって800人以上の奴隷解放を手助けしたという。

「それでも夜は明ける」の暴力シーンが凄まじく3日ぐらい眠れなくなったので、この映画を観るのもかなりの根性がいった。殺されやしないか、殴られやしないか、ドキドキしながら見た。

人間を家畜のように扱う奴隷制、そして逃亡する奴隷が増えたことで、逃亡した奴隷を捕まえることができる「逃亡奴隷法」なるものが成立する。ペンシルバニアに逃亡した奴隷たちは、再びカナダを目指して移動する。ハリエットの下宿先の自由黒人のマリーも殴り殺されてしまう。

アメリカの農業が今のように発展したのは、奴隷であるアフリカ系アメリカ人のおかげではないのだろうか。もし奴隷制度なければ、アメリカの広大な大地は、未開拓のアフリカと同じような大草原のままだったのではないだろうか。

暴力で押さえつけられ、歯向かう気力すら奪われ働かされる。いともたやすく殴られ、犯され、売られ、殺される。そんな恐怖におびえた奴隷たちの血と涙があっての農産物であり、経済成長なのに、アメリカ人はそのことに感謝もせずに、いまだかつてアフリカ系アメリカ人を見下し、差別する。前日に観たボールドウィンの言葉が幾度となく頭のなかで響いた。

奴隷制、逃亡奴隷法、奴隷制の廃止。人種差別。いまだに続くアフリカ系アメリカ人への暴行事件。

白人警察官の暴行事件で、プロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手がツイッターで

「自分の身に起きていないからといって、現実に起きていないと考えてはいけない」

そういった。

私も忘れないように手帳にメモをした。人権問題で意見が対立したときに、感情的になり「当事者でないあなたに何がわかるの」と言いたくなるときがある。けれどそれを言ってしまうと、相手を黙らせてしまうし、議論が深まらない。今度からは大坂氏のこの言葉を借りることにしよう。

頑張らなければいけないのはマジョリティではなく、マイノリティだ。

すぐ終わってしまいそうなので、お時間ある方はぜひ観に行ってください。こういう映画は、観終わったあとに意見を交換することが非常に大事だと思いました。

写真は大阪ステーションシティシネマ(ルクア11階)から見えた、私の大好きな愛してやまないスカイビル。手前の土地はまた何か開発されるのでしょうね。

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