部落問題解決への道とは?

豊中では、市(行政)と「人権文化まちづくり協会」と地元(運動)と、これまでお互いの力を合わせて、部落問題解決のためにいろんなとりくみを重ねてきましたし、その長い時間の間に、強い信頼関係も築いてきました(これを「協働とパートナーシップ」と言います)。

部落問題と他の差別問題と違うところは、部落問題には地域性(生まれたところや住んでいるところで差別される)があることです。そのために、その当事者でない者が踏み込むことができないところがあります。そして、それは地域ごとに歴史的な経過をもっており、それを抜きには理解できません。

この「地域性」と「当事者性」と「歴史性」の3つは、部落問題の理解・解決のためには不可欠のもので、これを備えているのは、豊中においては「協会」以外にはありません。だからこそ、市はパートナーとしてきたのです。

また、豊中市はこれまで、同和行政や人権行政のトップ・ランナーとして頑張ってきました。他の自治体のどこと比べても負けることはなく、「協会」がやっていることについても、「ようやってますね」としばしば言われますが、その意味では、私もそれを誇りとしてきました。

しかし、昨今、そうしたものとは違った動きがいくつかでてきています。違った言葉で話す人が音頭をとり、違った物差しで測り、違った道を行く、といったことになっているようにも思います。

私は、これまで歩いてきた道の先にしか希望を見ることはできません。違った道があるという人がいるのであれば、それを指し示す責任があるはずです。そして、差別問題は当事者抜きで解決できないことも間違いありませんから、そうしたことについて意見を交わし、議論をし、合意形成を図るべきです。

「解放会館」から「人権まちづくりセンター」へ、そして「人権平和センター」へとの流れは、私たちにとっては決して喜ばしいものではありませんが、部落問題解決というその目的の実現のためにという一点で納得してきました。ところが、それに便乗して大事な財産を打ち捨て、ぶち壊すようなふるまいをするのであれば、話は別でということになります。

改めて、来し方を振り返り、進むべき道を誰と共にいくのかを考える必要があるなあと思います。

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