タブー視

スマホの乗り換えに行ってきた。昔ほど、住所や名前を記入する回数が減り、身分証明書も免許証や外国人登録証の写真を撮り、その画像をそのまま送れるようになり、時代の進化を痛感した。

ただ、手続きに2時間半かかるのはかなり疲れた。

対応してくれた男性スタッフさんは子どもがいてるので一か月ほど、自宅勤務をしていたそうだ。

彼は「緊急事態宣言って出す必要あったんですかね?みんな、家におるねんから、出さなくても良かったんちゃうかなってボクは思いました」と、手続きの合間の私見を述べていた。

彼はこどもがいてるから、家から出ざるを得なかったけども、そうではない人もいる。緊急事態宣言を出さなければ(出しても)外出をする人はいる。

店先で議論しても手続きの時間が余計かかるだけやから、あえて何も言わなかったけど、新型肺炎をめぐっては、本当にいろいろな意見があるし、いろんな疑問がある。

自粛と補償はセットだし、なぜ給付金の申請が「世帯主」でなければいけないのか。

なぜ大阪府知事ばかりが取り上げられるのか、そもそも大阪の医療現場がひっ迫した原因はどこにあったのか、そんなことを取り上げるメディアはあまりいない。保護者の職種によって、預かってもらえる子どもと預かってもらえない子どもが出るのは、ある種の職業差別ではないのだろうか。

それを「感染予防」や「緊急事態宣言」という印籠で黙らせられている気がして仕方がなかった。

そういう話そのものができなくなる雰囲気というか空気感になってしまうのが非常に恐ろしいと感じた。メディアから流れる「頑張ろう!コロナと闘うために!」とか、「一緒に頑張ろう」とか医療従事者限定に「ありがとう!」とかは、3.11のときの「絆」云々のようになんとなく薄気味悪さを抱いた。

原発事故やアジアの歴史認識のように、コロナをめぐるそれぞれの意見も、前述の2つの問題同様にタブー視されてしまうのではないかとモヤモヤした。

写真は子どもたちがタピオカとぷよまるボール(水につけたら膨らんでいくやつ)で作ってくれたタピオカドリンク。ステイホームでどんどん増えていきます。

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