82年生まれ、キム・ジヨン

82年生まれ、キム・ジヨン

著:チョ・ナムジュ 訳:斎藤真理子

遅ればせながら本書を読んだ。次女がアデノウィルスで保育園行けなかったおかげで、普段より洗濯の回数も少なく、家事労働を時間を読書に割くことができた。

週刊金曜日や豊中すてっぷのwebサイト、国際交流協会の広報紙ですでに紹介されていたが、やはり読まない訳にはいかないし、「すぐに読める」と言われた通り、すぐに読めた。が、内容はなかなかの濃いさだった。

82年に次女として生まれたキム・ジヨン氏。彼女が突然、母親や友人が憑依したかのような口調で語りだすところから始まる。

祖母(父方の母)、実母の苦難、そしてジヨン氏本人の「女」として生きることの息苦しさ、理不尽さが小学校、中学校、高校、大学、就職活動、社会人、妻、妊婦、母親のすべてのシーンに見事に表されている。

韓国は日本以上に男尊女卑がひどい。年配の人を敬うのは悪いことではないが、そのために誰かがしんどい思いをするのなら、そこまでする必要があるのか?と思うことがある。私の母も、顔も見たことのない先祖のチェサをさせられていた。そして私たちに、「あんたら、オモニが死んでもチェサなんかせんでいいからな。ビール一本お供えしてくれたらそれでええからな」とよく言っていた。(今はお盆とお正月のチェサもなくして、祖父、祖母の命日だけになった)

個人の努力ではなく、「女」というだけで、優劣をつけられ、就職活動も難しく、いざ就職できたと思えば、賃金格差もひどい。

まさに社会の仕組みが問題なのだけれど、常に黙らされるのは女性だ。妊娠出産で退職を迫られるのはほとんどが女性。子どもを産んでも、働き続けられる職場や仕組みがないのが問題なのに、「子どもを産んだ女」に問題があるかのように扱われて、個人の問題とされてしまう。

悶々とした気持ちを言葉で表すのは難しいが、その半端ないフラストレーションは半端ない。その気持ちを物語のなかに見事に落とし込んでくれていると感じた。

自分のルーティンを一切崩さず、自分の時間を断固確保したうえで、暇なとき、酔っぱらったときだけ子どもを可愛がる世の男性いや我が夫に是非読んでもらいたい一冊だ。

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