二回目の金子文子と朴烈

2回目の「金子文子と朴烈(パクヨル)」を観に行ってきた。

前回観たのが、2月だったので5か月前だ。

映画とは少し話がずれるが、最近、長女が自分も「韓国人」だということを少し理解しはじめた。まだ、「国」とか「日本」という枠組みが何なのかもわかっていないけれど、ニュースで「韓国」と流れると、漢字も読めないなりに必死にニュースを聞いている。

彼女が必死に聞こうとしているニュースが「韓国の日本製品、不買運動」のニュースだった。ユニクロの服を破り、アサヒのスーパードライをこぼしまわる韓国人。そんな韓国人を見て、娘はいったい何を思うのだろう。

100年前みたいに殴られることはなくても、クソ朝鮮人と罵られるのはいまのほうがひどいかもしれない。

むしろ、今のほうが、生きにくい制度が整ってしまっているようにも思う。

朴烈のように民族を代表するような生き方はできないけれども、自分らしく人間らしく生きたいと思うのは、万人の願いだ。

金子文子のような真実を見据える目も持っていないし、捨て身で生きることはできなくても、日本人じゃないけどこの日本で私らしく生きたい。しかしながら、この国は相変わらず隣国に対してだけ、横暴で横柄で、勘違いをしている。

歴史を知らない人、知ろうとしない人が多すぎるし、政治の問題、外交の問題を市民生活や文化や教育にまで持ち込もうとするあさましさがある。国が差別をしてもいいというお墨付きを与えてしまっている。

参画できない選挙、その結果におぞましさを覚え、金子文子と朴烈に生きるパワーを与えてもらいにまた足を運んでしまった。死刑判決にもかかわらず、権力(天皇や大臣、検事や裁判官)をあざ笑うかのように自分の生を全うする二人。

日本という国はイヤだけど、日本の民衆は好きだという朴烈。朝鮮人を侮蔑する日本人に何の躊躇もなくおでんの汁をぶっかける金子文子。見事なまでの天皇批判。痛烈、そして理にかなっている。

学はないが、物事の本質を見抜く文子の鋭さ。貪欲に生きてきた証なのだろう。

めっちゃいい映画だった。自伝をまた読もう。

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