やっとやっとやっと本書を読み終えた。
11月の世人権記念集会に向けて読み始めたのに、結局、集会が終わってもまだ読み終えることができなかった。
本書は家族訴訟のきっかけになったとニュースでも報じられていた。
公表することを承諾してくれた、ハンセン病家族12人の物語が書かれている。
話をしてくれているのは、家族(親やきょうだいなど)がハンセン病で、かつ、本人はハンセン病ではない人だ。
本人が幼い頃に両親がハンセン病となり、一緒に療養所へ行くも、その後、親戚に引き取られ、忌み嫌われながら過ごした人。
きょうだいがハンセン病で、周りからひどくいじめられた人、1歳のときに両親が療養所へ収容され、8歳から再び家族と暮らすも、なんともいえない違和感を抱く人。さまざまなハンセン病家族をもつ人たちの聞き取りが収められている。
なかには療養所での結婚条件が、断種堕胎だったにも関わらず、手術の設備が整備されていないのと、当時の所長の意向で出産が可能だったために生まれてきた人などもいた。それは非常に驚いた。
しかしながら、親が「親がハンセン病だと可哀相だ」と、良かれと思って、籍を抜き、兄弟の戸籍に入れたがために、補償を受けられないといったケースもあった。または父親が朝鮮半島出身で結婚を反対されたからか、無戸籍のままの人もいたりした。
なかには被差別部落の人だけが、自分たちに優しくしてくれたという話があり、少しホッとする気持ちにもなったが、 読めば読むほど悲しくて辛い話ばかりで、本当に胸が痛んだ。
時代だから仕方がないで済む話ではない。らい予防法があったから、そういう制度だったからで済む問題ではないのだ。
やはり無らい県運動に加担した行政や市民にも責任はあるのではないだろうか。排除しようとする意識の根底にあるのが、偏見であり、優生思想だと思った。
らい予防法は廃止されたが、療養所から出られない人、いまだ家族に会えない人など、ハンセン病問題は終わっていない。
ハンセン病の問題は、知れば知るほど、根が深い問題だということを、加藤めぐみさんと山城清重さんのお話を聞き、本書を読んだことで痛感した。
なかなか読み進めるのが私には難しい本だったが、ぜひともみなさんに読んでいただきたい。