略歴

1913(大正2)年9月13日、大阪府豊能郡豊中村に生まれる。豊中水平社の今西弥之助や山口賢次らの影響から水平運動に参加する。 
1931(昭和6)年、豊中町の書記となる。 
1933(昭和8)年、高松差別裁判糾弾闘争の全国部落代表者会議に参加。
1937(昭和12)年、古書籍業を始める。
1940(昭和15年)年、全国水平社第15回大会では場内整備班として大会防衛にあたる。
1942(昭和17)年、同和奉公会大阪府本部主事補となる。
1944(昭和19)年、大阪府同和事業事務嘱託となる。このころ西光万吉と出会う。
1945(昭和20)年11月、大阪府の書記となる。
1946(昭和21)年3月、人民解放豊中青年同盟を結成。
1946(昭和21)年8月、部落解放大阪青年同盟創立大会で副委員長となる。
1948(昭和23) 年3月、大阪府庁を退職し再び古書籍店を経営。
1948(昭和23)年5月、部落解放全国委員会の中央委員となる。
1951(昭和26)年12月、大阪府同和事業促進協議会創立大会で常任理事となる。 
1953(昭和28)年5月、豊中市同和事業促進協議会が結成され、常任理事となる。 
1955(昭和30)年1月、新大阪新聞の差別記事を糾弾する。
1956(昭和31)年、朝日新聞「文壇欄」の差別記事を指摘。これを契機に「部落・三百万人の訴え」の連載記事が掲載される。 
1957(昭和32)年、部落解放同盟中央本部統制委員となる。 
1959(昭和34)年5月、豊中市同和事業促進協議会の会長となる。 
1958(昭和33)年、同人誌豊中文学を創刊。
1963(昭和38)年、豊中市議会議員選挙に初当選、以後1987(昭和62)年まで連続6期務める。
1967(昭和42)年7月、再建された部落解放同盟豊中支部長となる。
1969(昭和44)年6月、豊中市同和対策審議会委員となる。 
1970(昭和45)年4月、大阪府同和金融公杜理事長となる。 
1970(昭和45)年6 月、豊中市議会副議長となる。 
1971(昭和46)年4 月、大阪府同和事業促進協議会会長となる。
1973(昭和48)年3 月、部落解放同盟中央本部の会計となる。
1975(昭和50)年1 月、作家の野間宏・土方鐵らと差別とたたかう文化会議を結成し、文化の面から差別問題に取り組む。 
1978(昭和53)年、第5回部落解放文学賞から実行委員長をつとめる。
1979(昭和54)年3 月、部落解放同盟中央本部の文化対策部長となる。
1982(昭和57)年10月、部落解放同盟中央本部の顧問となる。
1988(昭和63)年、大阪府の文化芸術功労賞を受賞。 
1990(平成2)年7月、開設に努カした大阪人権歴史資料館(現・大阪人権博物館)の館長となる。
1992(平成4)年、「野間宏の会」の発起人となる。 
1996(平成3)年 2月6日、逝去(82才)。

● 著 書
詩集「焦心疾走」1981(昭和56年) 
詩集「にんげん」1986(昭和61年)
「寺本知のとわずかたり  にんげんはすばらしい」1994(平成6)年
「魂の糧」1997(平成9)年