啓蟄

太陽も星もない

まわりのどこを探しても

わずかなぬくもりさえもなかった

孤独と絶望の淵であがいていた

敗戦後

自由と平等をめざし

炎々と燃えあがった

部落解放の炬(かがり)火(び)は

吹きすさぶ

弾圧の嵐の中で

その火は急速におとろえていった

卑劣にも権力は

解放の父 松本治一郎先生までも

不当にも公職追放に処した

同志も離散した

食糧(くうもの)も極度に欠乏していた

今日一日生きのびるのが精一杯だった

大阪の砦を 私と共に

最後まで

守ってくれた

高松君は

過労からカリエスで斃れた

二十七歳の若さで死んだ

先輩同志の石田さんは

店も人手に売りわたし

うす暗い施療病院のベッドで

木乃伊(ミイラ)のようによこたわっていた

肝臓癌だった

手をにぎると

「てらもと おれ もう あかんわ・・・・・・・」

と かすれた声が ようやくききとれた

ただ一人

中央本部で活躍していた

全国書記長の山口さんは

臨月の妻と子供をのこして

行方不明

三カ月すぎて

彼は

奥多摩の林の中で

自殺体となって発見された

四十三歳だった

ある朝 私は

突然

喀血した

幸いにも 微熱はとれたが

そこへ追討ち

職場まで馘首(くび)にされた

むろん一銭のたくわえもなかった

古本屋をはじめた

でも 債鬼がうるさくて

客が買ってくれるまで待てなかった

棚の本は次々と

同業者だけの古書交換市でたたき売った

もうどうにもならなかった

おとなしい妻まで

ぐちり 歎く

ああ

まわりはみんな敵!

そんな時

長女(おまえ)は一歳

ガサガサ這ってきて

私を見上げると

にっこり笑った

生きている紅い林檎

純粋の幼い生命が笑っていた

そのとき

凍りついていた私のこころに

ポッと あたたかいものがついた

その灯をだきかかえて

何日ぶりかで

表へ出てみた

木枯らしで裸にされた

柿の木に

二羽の雀が

寒そうに

丸くなって

よりそっていた

空は

深々(しんしん)と

あくまで蒼く

冷たく澄みきっていたが

太陽は

静かに

燃えていた